2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑮カチカル山トレッキングその2
下山の途中、一昨日馬に荷物を載せて同行していたおじさんに
また遭遇した。
今度は違うおじさん達と、荷物をどっさり積んだ5頭の馬を引き連れて
登っているところだった。
そういえばキャンプ場のおじさんが、今日イスタンブルから19人
人がやってくると言っていたので、その人達の荷物だろう。
会社の研修グループかなんかの団体で、馬の大分後から
その一行遭遇した。
「こんな小さい子がリュックサック背負って山登りしてるのに
おじさん達ったら、あははは」なんて言いながら、一応断りを入れたあと
息子の写真をスマホでバシバシ取って通り過ぎていった。
花畑天国を下り続け、4時間ぐらいしてやっと麓の集落が見えてきた。
もう少し早く着くと思ったけど、息子にとっては下りの方が退屈で
キツかったらしく、たまに泣き出しては機嫌をとりつつ、休憩も多く入れてたので
結構時間がかかってしまった。
無事に下山を終え、車を取りに行き本日の宿泊先へ。
2件ある麓のペンション。
普段ならこの時期、満室で予約もとれない状況らしいけど
コロナのあれで、宿泊客は私達だけだった。
下界の宿より少し割高だけど、食事も付けてもらいゆっくり山の疲れを
癒すことができた。
宿は家族経営で、英語が話せる息子が接客の一切を担当していた。
そして弟さんは料理担当で、おいしいトマトのスープを作ってくれた。
そしてここでも出くわした、手編みの靴下。
ここで見たものは、以前旅したイランで買い求めた靴下の模様と
全く同じものがあったのが興味深かった。
中央アジアから西に行くにつれ、いろんな編み物文化があるのを
ちょこちょこ目の当たりにしてきたけど、イランとトルコ、国をまたいで
伝統的な柄が伝わっているのだとしたら、それはそれで面白い。
ということで、いつものごとく「資料」という名目でここでも靴下と
それから珍しい手袋を買い求めた。
食事を終えお茶を飲んでいると、ガイドもしているという息子さんが、
この山の観光地化の危機について話してくれた。
この山の醍醐味は、あの天国にあるような山道だ。
登山者にとっては、あそこを登ってゆくことが大きな喜びになってることは
間違いない。
それをどうやら、あの花畑をつぶして、私達がいたベースキャンプまで
道路を通して、車が行き来できるようにする計画がもちあがっているらしい。
もちろんこれを全力で阻止するために、国に掛け合って居るらしいが
果たしてその声がちゃんと届くのだろうか。
先日訪れたアイデル高原と言う所も、もともとはのどかな高原だったの
だろうけど、麓からのアクセスを良くするため、高原の真ん中にドカーンと
大きな道路を一本通して、その周辺に土産物屋や宿泊施設を乱立させ、
観光客を呼びこんでいた。
5年後10年後、このカチカルエリアがそうならないことを本当に祈るばかりだ。
と言うことで、3泊4日のカチカル山トレッキング。
山登りに疲労はつきものだけど、間違いなくこの山は楽園登山だったし
もっともっと花が咲き乱れる季節に、もう一度来てみたいと思った。
それまで、どうかこの姿を保っておいてくれることを願いつつ
私達は山を後にしたのでした。
続
2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑭カチカル山トレッキングその1
カチカル山の麓に着いたのは、夕方だった。
道端に車を停め、この日はここで車中泊。
長い一日になるであろう明日に備えて、軽く食事して早々に就寝。
翌日。
山の入り口にある集落に向かい、いよいよ登山開始。
下界はとんでもない暑さだろうけど、山の上はスカッと青空が広がり
山登りには絶好のお天気。
登りはじめの地点は2130m。
昨日車で来た時は気付かなかったけど、けっこう標高高いところ
だったのね。
カチカル山はトルコ北部、北アナトリア山脈にある山の最高峰で
高さは3942m。
富士山より200mぐらい高い山だけど、だいたい4合目ぐらいから登り
途中のベースキャンプで標高差に慣れてから、頂上を目指す行程。
と言うことで1日目、目指すは2860mのベースキャンプ。
行ってみよう!!
登り道。
綺麗な小川が流れる谷の合間の一本道を、どこまでも歩く。
とてもなだらかな道で、山登りとういうより山歩きというか
お弁当片手にぶらぶら来れるような所。
とにかく、お気楽、楽園登山。
綺麗な山の湧水の給水所が所々にあって、いつも美味しいお水で
一息つくことができた。
途中1か所だけ、どうしても靴を脱がないと渡れない川に遭遇。
この水が雪解けの冷たーーーーい水で、渡る間十数秒でも足が痛くなるほど
冷たかった。
馬に沢山の荷物を載せて、下山していたおじさんに出くわす。
リュックサックとかウレタンマットが積んであったので、登山客の
荷物を運んでいたんだろう。
そしてこの後1時間ぐらいしてから、荷物を持たず下山してきた
5,6人のおじさんグループにも遭遇した。
ここまではハイキングの延長気分で来ていたのだけど
この先は馬に荷物を持たせるほど難所があったりするのだろうか。
少々の不安を胸に、私達はその先をグングン目指した。
風景はどこまでも天国のようなのだが、3時間ぐらい登ったあたりから
斜面の角度がだんだんきつくなってきて、息が上がりだした。
後から思えば、すでに2500mは超えている地点だったので
軽い酸欠だったんだと思う。
それまで軽かった足取りも、だんだんと重くなってゆき
最後の500mで2時間ぐらいはかかった。
私ってこんな体力なかったっけ?
こんなにバテバテの自分、ちょっとショックだった。
ともあれ、ヘロヘロながらもたどり着いたベースキャンプ。
このキャンプを管理してるおじさんもいて、着いてさっそく
お茶とお菓子を用意してくれた。
他の登山客もちらほらいたけど、夏休み中の山にしては
人が少ないという印象。
やはりコロナで、例年より全然少ないと管理人のおじさんは言っていた。
ベースキャンプはもうすでに、森林限界をむかえる険しい山に囲まれていた。
ここから直にカチカル山は見えないのだが、聞くところによると
頂上までの往復、大人の足で6,7時間かかると言われた。
そこに6歳児が加わるわけだから、多くて10時間ぐらい見て居たほうが
よさそうということで、明朝7時には出発しようということになった。
その日の夜。
あれだけ体力を使い、あれだけ疲れ果てていたにもかかわらず
私は良く眠れなかった。
高山病の症状だったのだろう。
翌朝はもう憂鬱でならなかった。
丸一日山歩きをする体力も気力もなかったので、私だけ
ここから200m上にある湖まで行って、登頂は夫と息子だけで
行ってもらうことにした。
天気は良好。
荷物もテントに残し、最大限身軽にして出発。
しかし、出発してものの20分のところから、また斜面がグンと急になり
すでに息が上がり始める私。
こんな弱っちかったっけと、自分を責める気持ちにもなりかけたが
それもそのはず、3000mも間近ともなれば酸素も薄くなるはず。
明らかな酸欠。
メンズ二人はモリモリ登る。
足元が悪く、ガタガタで岩だらけの所を手を使いながら登ってゆく
山道。
特に息子にとっては、遊び場でしかない。
もうホントに、猿のように登ってゆく。
子供の足で10時間と言ったオジサンに、この姿を見せてやりたかった。
そして何よりも足手まといになるのは、他ならぬこの私だった。
結局その湖に辿り着くまで2時間近くかかってしまった。
ここまで来れて、私は大満足。
しばらく休んだ後、その先を目指す男達を見送り
私も一人、ベースキャンプに戻ることにした。
そして、下りはなんと40分。
テントに再び戻り、少し眠った後、これから6時間
一人で何しようなんて考えながら、とりあえず本でも読んで
時間を潰すことにした。
3時間程経った頃、息子がママ――と叫ぶ声が聞こえた。
空耳かと思ったが、子供の駆け足の音も段々近づいてくる。
外をのぞいたら、なんと息子が駆け寄って来ていた。
話を聞くと、頂上まで300mのところまで行ったのだけど
足元が悪すぎて、息子が恐れをなし引き返してきたらしい。
体力的には全然いけたらしく、6時間山を歩いたあとでも
まだまだ遊び足りない様子の息子。
その相手をするのが、けっこうしんどかったり。。。。
もう一晩ここで過ごし、翌日下山。
キャンプも、その周りもとても綺麗で居心地がいいところだったので
食料さえ持っていれば、あと3日ぐらい居ても良かったけど
なくなくテントを片づけた。
パート2に続く
2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑬カチカル山への道
リゼを出てカチカル山へ向かう道中。
何故か私だけ熱が出るという体調不良。
山登りまで体調を整えたかったので、休み休み行くことにし、
途中見つけた綺麗な川で、3日間過ごした。
ここは山から流れてくるきれいな水が川となり、
その川がダムに到達するちょうどいい所で、人にもあまり遭遇せず
ゆっくり療養することができた。
川の水はとてもきれいで、大小様々な魚がうじゃうじゃと
泳ぐ姿がはっきり見える。
魚の数も相当で、息子は手づかみで魚を捕まえたりしていた。
ドイツでは禁止されている投網釣りネットを地元の釣り人がくれて
それが手に入ってからは、もう 入れ食い状態。
20匹は釣ったかな。
お陰で3日間、焼き魚三昧。
ちょっと骨が多かったけど、美味しい魚のおかげもあり
すっかり元気になった。
あの熱はなんだったんだろう。
体調も戻ったということで、私達はカチカル山の麓にあるユスリフという町へ
向かった。
舗装されてる道、ガタガタの山道などをひた走る中、
至る所で巨大なダムの建設が行われてるのが、やけに目についた。
その大きさは想像を絶するもので、数も多いことから国家を挙げて
ダム建設を急いでいるかのように思えた。
そういえば、昨日まで滞在していたダムで出会った地元民も
今はダムの上の方に住んでいるけど、水位を上げていくらしく
5年後には家がダムに沈むからどうしようみたいな事を言っていた。
数カ月前には、南東アナトリア地方で建設中のダムが完成し
1万2000年もの歴史がある古代都市が、ダムの底に沈んでしまった。
追いやられる住民というのは、総じて政府が建設した新しい町に
引っ越しをさせらるらしいけど、歴史や文化といった遺産を水の底に
沈めてでも、達成しなくてはいけなプロジェクトらしい。
全然関係ないけど、途中でまた泊まったダムのほとり。
ここで、私達はこんなものを水の底に放り投げてきた。
骨。
動物の骨が好きな息子が、道中で集めたもの。
一番右から、熊の、イルカ、牡羊の頭蓋骨と、イルカの下あご。。。
もちろん朽ち果てて、完全に乾ききっているやつなんだけど
家に持って帰るつもりでいたらしい。
しかし色々調べているうちに、熊とイルカの骨はEUに持ち込むと
大変なことになるらしいので、捨てる事になった。
ダムに向かって、頭蓋骨を投げる6歳児。
誰かに見られてやしないかと、ドキドキした。
もし、このダムが何百年何千年後に干上がったりして、誰かがこの骨を
見つけたら、「山になぜ、イルカがいたんだ!?」と大騒ぎになったり
するかな、なんて。
黒海のオジェルおじさんの庭に転がってた牡羊の骨は
スペアタイアの中に括りつけて、ドイツに連れて帰ってきましたが
これ以上増えないでほしい、骨コレクション。。。
金曜日、ユフリスという町に到着。
町のモスクでは礼拝が行われていたけど、ここでもソーシャルディスタンス。
モスクに人が収まらず、道路にはみ出してまでお祈りをしている
おじさん達の姿が印象的だった。
カチカル山の登山者は、この町を起点にしてさらに山奥へ進んでゆくらしい。
まずは食堂で腹ごしらえをして、山籠もり数日間分の食料を調達。
そしてここからさらに山道に入り、私達はカチカル山の麓に到着した。
続
2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑫リゼ_茶畑の宿
リゼから高原方面で過ごしたこの2日は、大雨がいきなり降ったりと
悪天候が続いていた。
山の上から流れる大きな川は激しい濁流になり、水しぶきを上げていた。
ここ数日はこんな天気であるということが分かり、どこに行っても
どうにもならないので、数日この辺の宿に滞在しようということになった。
リゼのこのエリアは、もともと観光地でもあるので
予約サイトで見ても選びきれない程、川沿いに沢山のホテルやペンションが
建っている。
良さそうな所に目星を付け、実際に外見をチェックして、
そして最重要事項、洗濯機があるかどうか、
それを直接聞きに行く。
大抵の宿のオーナーは暇そうにしていて、値段もサイトで表示しているより
全然安い。
何件か聞いて回って、一軒とても良いところがあったんだけど
洗濯機がないので、あきらめた。
そして、ネットでは出てこなかったけど、その隣にあった
アパートホテルみたいな所に一応聞いてみたら、なんと条件がぴったりで
そこに泊まることにした。
360℃お茶畑に囲まれた、素敵なお宿。
もう、緑しか見えないーーー
この写真の左下に写っているのは、コテージの赤い屋根で
まさに茶畑に埋まっている状態。
それでもここは、1泊一人10ユーロぐらいだったかな。
ここでも良かったけど、あいにく満室だった。
私達が案内されたのは、こんなところ。
キッチンも洗濯機も浴室も完備。
二階にベッドルームがあって、窓を開ければ一面の茶畑。
これでお値段、3人で1泊15ユーロぐらいだったっけな。
ちなみにトルコの赤い直置きソファー。
日本人の私的にはとてもフィットして、後に道中で一式買ってしまったほどだ。
絶景、清潔、コスパ最高。
近くにスーパーもあって、食材を色々買い込み
久しぶりにお米を炊いて、みそ汁と和食を作ったりして
のんびり過ごした。
ここから3キロぐらい離れたところに、レストランや土産屋さんが
軒を連ねるエリアがあって、散歩がてら出掛けたりもした。
けっこう可愛いお土産屋さんも多かったけど、観光客の激減で
長期休業しているお店も多く、残念だった。
その中でも、手編みの靴下を多く扱うお店が1件だけあって
沢山ある中から悩みに悩んで私と息子に1足づつ買って
宿に戻った。
のだけど、翌日。
他に手に取ったやつも諦めきれずもう一度お店に向かい、4足程買い足した。
物価安で、1足5ユーロぐらいのお値段というのもあるが
なにしろ、他では手に入らないもの。
夫は呆れていたけど、手編み靴下愛好家としては
思いがけない出会いだったし、こんな値段で買えることも
またとないチャンスのような気がした。
余談だけど、私の靴下収集というのは
10年前の日本⇒ドイツの旅の途中が始まりで
旅する国の独特な靴下を色々買うのが、旅先での楽しみに
なっている。
ということで、宿にはもう1泊して、貯まりに貯まった洗濯ものを
全部片付けで、気分一新。
出発の朝には雨もすっかり上がり、川の水流もすっかり穏やかになっていた。
車中泊の当てずっぽう放浪旅というのは、自由気ままでいいんだけど
たまにはこういう宿泊を挟むと、旅の充実度が全然違う。
長すぎる滞在だと飽きてしまうので、2日ぐらいがちょうどよい。
ということで、私達は1週間後に予定しているカチカル山への登頂を目指すため
リゼを後にしたのでした。
続
2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑪お茶処リゼとアイデル高原
サムスンを出発した後は、トラブソン方面に向かい
オジェルおじさんがおススメだと言っていた、スメラ修道院と言う所に
行ってみる事にした。
ここは中世、断崖絶壁の岩肌にへばりつくように建てられた修道院で
トルコでも人気の観光地になっている。
私達が着いた時も、悪天候にも拘わらず多くのトルコ人観光客が訪れていて
そう言えばこの旅で、観光らしい事をするのはこの日が初めてだった。
修道院までは足元の悪い山道を自力で登ってゆくか、駐車場から出ている
バスで行くこともできる。
私達はせっかくなので、雨具を装着して歩く事にした。
そして霧雨の中、森の中を30分ほど登った所から見えたのがこちら。
うーん、良く見えない。
なんか良く分からない。
もうしばらく登って行って、修道院に到着。
いくらか入場料を払って、内部を見学するために入って行ったのだけど
なんと工事中で、普段の1割ぐらいしか公開してなかった。
しかもコロナで入場人数に制限があって、30分ぐらい待ったのに。
何のために行ったんだか。
雨も強くなってきたので来た山道をまた戻り、やるせない気持ちで
また海方面へ向かった。
翌日 やって来たのは、お茶処のリゼ。
このエリアでは沿岸の道路沿いの山肌に、お茶畑が広がっていた。
そしてグルジアの国境まで100キロという場所で、標識にバトゥミの
文字がお目見えした。
ああーーー、行きたかったグルジア。
ものは試しで、国境まで行ってみようかという話になったけど
入れないのは目に見えたので、諦めた。
悔しかった。
ここまで来てるのに、強制送還を喰らった気分。。。
東方への進路を諦め、私達は南方へ下り
内陸旅を始めることにした。
海から離れ山間部に入ってゆくと、景色も天候も一変して
一気に過ごしやすい気温になった。
目指すはアイデル高原。
ここも、サムスンの海の家で出会った男性に教えてもらった場所。
温泉があるというので、意気揚々と向かったわけだけど
ここも工事中で、またまた何しに行ったんだか状態。
全面改装で、2年ぐらいは休業すると工事してる人が言っていた。
アイデル高原と言う所も、楽園のようなところだと触れ込みがあったのだが
どこもかしこも工事中で、大きなトラックが砂埃を巻き上げながら
行き来している。
お土産屋さんとかレストランとかたくさんあったので
普段は人気の観光地なのだろう。
しかし大規模な工事のせいで、車で入ってゆくことができなくて
駐車場に車を停めて、40分ぐらい歩いて来たのに
温泉にも入れなくて、ホント何しに来たんだかという感じパート3。
そういえばこのアイデル高原のハチミツというのが、栄養価が高く
薬効もある事からとても有名で、お土産屋さんや道端でも
いろんなところでこのハチミツが売られていた。
この物価安のトルコで、500gで18ユーロ(約2000円)と強気の値段で
それ以上高いものもあった。
私は趣味で養蜂をしていて、蜜蜂もハチミツも大好きで、
旅先でハチミツを買う事は、旅の楽しみでもある。
まずは味見をして、面白いものがあったら買おうと思ったけど、
薬効はあるかもしれないが、そこまで心惹かれるものがなく
結局買わなかった。
しかし、ここで買わなくて正解。
旅の最後の方で、今まで味わったことのないハチミツに出会う事が
できたから。
と、まあ、二日連続で肩透かしを食らった感じだったんだけど
唯一の救いが、美味しいお魚にありつけた事。
これで、チャラにしようではないか。
しかし、トルコの物価安。
心配になるほど安い。
この日も、ちゃんとしたお魚レストランで、
スープ、魚、サラダ、飲み物を頼んで3人で1000円いかないぐらいだ。
地方はどこも、そんな値段。
前にも書いたが、ホントに東南アジアのどこかの国を旅してる感覚。
10年前にトルコを旅したときは、物価が今の4倍ほど高く
外食なんて滅多にできなくて、安いケバブばかり食べていたし
6年前に来た時だって、イラン旅行の後だったせいもあったけど
全てのものが割高に感じた。
そして今回、この物価安の恩恵にあずかってると思えた宿泊施設の話は、
次の記事で。
続