G2DOKKA-WANDERLUST

ドイツ発。親子3人車中泊放浪旅のキロク

日本ードイツ大陸横断_㉑カザフスタンに入国(パヴロダール)

            ≪再出発!車が盗まれた現場にて≫

先週末にロシアを無事に出国した(涙)

心配していた通関の件は難なくクリアしたけど、ビザの期限で問題があり

結局8時間ぐらい国境で足止めを食らった。

そしてついに隣国、カザフスタンに入国!!

やっとの2ヶ国目!

いろいろ事件もあったりで、結局4ヶ月近くも居ついてしまったロシア。

最終的にはいい国でした。

車の一件はホント腹がたったし、へこんだけど

ほんの一部悪い人がいたってこと。

ロシアに限らず、何時でも何処でも誰にでも起こりうること。


この先もっと酷いことがあるかもしれない。

いい事だらけかもしれない。

でもそんなの誰もわからないし、分かってたら

これほどつまらないものはない。

人生と一緒で。

ということで、気楽に旅を続けます。




カザフスタンの国境を越えて、何処までも続くまっすぐな

道の横に広がる広大な大地は、ステップ気候特有の平原で

多少の植物が育つことを除けば、砂漠とほとんど変わらない。

景色というか、果てしなく広がる大地。

ロシアから一転、国境を越えただけでこんなに早く風景が変わるとは
思わなかった。

カザフスタンという国は、これから訪れる予定の

キルギスタジキスタンウズベキスタン、トゥルクメニスタン

いわゆる中央アジアと呼ばれる国の一つで

元々はソ連社会主義体制の下、連邦国家として存在し

ソ連崩壊後に独立した国。


それだけに、公用語はロシア語で

文字もロシアと同じキリル文字を使用している。

社会主義国家だった旧東ドイツで育ったマーカスは

小学校の7年間はロシア語の授業があった。

記憶の彼方にあったロシア語も、旅という実践の場でどんどん蘇り

この4ヶ月でびっくりするくらい上達している。

例え片言でも、ロシア語で意思疎通ができるだけで、地元民との

距離の縮まり方が、英語のそれよりも全然違う。

だから、この先の数か国でロシア語が通じる事は、とてもありがたいし

旅の充実度も全然違ってくると思う。

 


それはさておき、カザフに入って初日は国境近くの湖に泊まり
翌日、200キロ先にあるパヴロダールという街に着いた。

この国でもロシアと同じく「滞在登録」というのをしなくてはならなくて
移民局を探しがてら、街をうろうろすることに。


その辺にあったカフェで道を訪ね、再び車で移動しようとしたら

そのカフェのテラスで優雅にお茶を飲んでいたおじさんに呼び止められた。

おじさんも暇だったのだろうか。

色々話しているうちに、お困りなら友達を呼んで移民局やら街の案内やら

頼んであげるから、お茶でも飲みながら待ちましょうということになった。

 

10分後、そのおじさんの友達のアルマンという男性がやってきて、

今後の予定など色々聞かれた。

そして彼のノートパソコンに入ってる写真とかを見せてもらい

カザフのおススメスポットなど沢山教えてもらった。

 

その日はバンニャを見つけて行く以外特に予定はなかったので

それを伝えると、早速近くのバンニャに連れてってくれることになった。

その前には、この街にある大きなモスクを案内してもらったり、

なんだなんだ、いきなり親切なガイドが現れたぞ。
                   

パブロダールの巨大モスク




バンニャは1時間待ちで、入り終わったらそこら辺の川かどっかで寝床を探す

はずだったんだけど、アルマンが後ほど迎えに来るからと言って

去って行った。

はて。

初日でいきなり出会ったカザフ人。

先回りで色々段取りを組まれ、これで最後にお金を請求されたら

どーしようかなんて、ふと思ったりもした。

 

1時間後、約束通りやってきたアルマンは今度はドイツ語が話せる

高校生の女の子を連れていて、食事を用意するから家においでと言う。

私達はロシアでの事を話し、 車を長時間放置したくないと伝えると、

警備付きの駐車場を用意してくれるというので、お言葉に甘え自宅に

伺うことにした。

この時点で夜の10時。

家に着くと、アルマンの奥さんとその友達が見たこともない

肉の塊を料理し始めていた。

でっかい食事用の部屋に、1.5mほどのこれまたでっかい丸い座卓が

運び込まれ、色とりどりの長い座布団を敷きテーブルを囲む。

日本とあまり変わらないスタイルで、なんだかほっとした。



ドイツ語が話せる女の子は、ドイツの「トウキョウホテル」という名前の

アイドルバンドの大ファンで、それがきっかけでドイツ語を勉強し始めたらしい。

5年経った今は、マーカスとの会話も通訳も難なくこなしていた。

そうこうしている内に、今日一番最初にカフェで会った男性と、もう一人の

友人がやってきて、クムスと呼ばれる馬乳酒で乾杯し宴が始まった。

とりあえず歓迎はされているようなので、安心してその場は楽しんだ。

深夜12時を回ったころ、ようやくメインディッシュが運ばれてくる。

50センチぐらいの大きな皿に乗せられてきたのは、馬肉の腸詰だった。

その馬肉の上に羊の肉と、ドライ馬肉がトッピングされている。

早くも始まってしまった、肉の洗礼。

本で読んで知ってはいたけど、この国でも肉抜きに料理は語れない。

とくに、馬肉や羊肉。

ベシュパルマックという料理

 

深夜の肉の晩餐会はきつかった。

だけど、ロシアを出てたった1日でこんなに違う文化に触れることができて

感無量。

しかも、カザフ人の顔つきが日本人そっくりで、言葉は違うんだけど

やっぱ同じアジア人だからか、すっかり打ち解けて和んでしまった。

次の日の予定も特に無いと言うと、明日は250キロ離れた岩山の街に

連れてってあげると言われた。

断る理由もないので、その日はアルマンの家に泊めてもらい

翌日はアルマンと、そこにいた友達の一人カナットという人と一緒に

出かけることになった。

とにかくカザフスタンの初日からこんな出会いがあり、旅を続けてきて
本当に良かったなーと、色々噛みしめる1日だった。

ま、これで最後に「ハイ、お金」とならなきゃ万々歳だけど、

聞くのはもしかしたらすごく失礼な事かもしれないから、

とにかく今ある状況を楽しもうということで、次の日の朝を迎えたのだった。


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@りいちゃん
久しぶり!コメントありがとう。
ほんとに世界は広くて、自分がツブだと感じる毎日だよ。
あ、携帯がなくなってしまったのでりいちゃんのメールわからなく
なっちゃった。
私のPCのアドレス知ってたら、そこにメールちょうだい!

@しえちゃん
馬いいよね~。
写真はね、素材がいいのだよ。撮るだけで絵になっちゃうよ。
救援物資リスト、メールしといたよ。見てね!