G2DOKKA-WANDERLUST

ドイツ発。親子3人車中泊放浪旅のキロク

日本ードイツ大陸横断旅_㉒カザフスタン2日目

翌日。

ランクルの後ろの荷物を全部下ろし、二人分の座席を無理やり作って、

250キロ離れた岩の山に向かう。

話を聞くと、さらにそこから50キロ離れたカナットの実家で一泊して

翌日帰るという、けっこう強行スケジュールだというので

断ろうと思ったけど、せっかくのお誘いだし

滞在登録の面倒まで見てくれるというので、断りきれなかった。

この旅程。

言ってみれば添乗員2人付きの秘境ツアーさながらで、料金的なものは

発生するのか?とか、結局聞くに聞けず、とりあえず出発することに。

 

パヴロダールから、アスタナという町の方に100キロぐらい進み

そこからは、ステップの大地に入っていく。



何処までいっても、360度大地な風景。

道と言える道はほとんどなく、タイヤの跡を追って走り続けた。

標識ももちろんないので、方角など私からしてみたら全然わからないん

だけど、さすがに土地の人。

遠くに見える山の形を見極めて方角が分かるらしく、目的地に向けどんどん進む。

4時間ぐらい走り続けて、岩の山にやっと到着。

だけど暗くなってしまったので、そこからちょっと先の国立公園の中に

住んでいるカナットの友達のお家に向かう。

このお家でも大きい丸座卓が運びこまれ、みんなで食事をした。




翌朝。

昨日の夜は暗くて見えなかったんだけど、その家の周りの風景にとても驚いた。

ここはまさに、岩の山の中にある村だったのだ。

どこかの惑星にでもいるような、スターウォーズの映画の中にいるような感じ。

グランドキャニオンの小さい版みたいな。

とにかく生まれて初めて見る風景だった。





国立公園を周ってるうちに大分時間がたってしまい

パヴロダールに戻るには遅い時間になってしまったので

ここからまた50キロ離れた、カナットの実家に行く事になった。

この50キロで見かけた家、3件。

全ての家に立ち寄り、馬乳酒(クムス)を振舞われる。

クムスは、馬の乳を発酵させてそれを木の樽ごとスモークして

攪拌して作る、ちょっと酸味があってスモーキーで微炭酸なミルク。

聞こえはあまり良くないけど、これがけっこうおいしい。

春から夏の間だけの季節物で、こっちの人は日本で言う麦茶みたいな

感覚で何杯も一気に飲む。

体に絶対いいはずだし、美味しいのだけど、何杯も飲めるもんじゃない。

正直私は一杯で十分なんだけど、おもてなし的には、茶碗が空になれば

自動的に次のクムス注がれることになり、それを飲まない訳にはいかないわけで。

飲み過ぎて、嫌いになりそう。。。


                ≪クムスを攪拌している女の子≫

クムスでタプタプになったおなかを抱えて、カナットの実家に到着。

とりあえずお決まりで、歓迎の乾杯はクムスで。

そしてここでもまた、馬肉の洗礼。

 


カナットの実家では、彼の弟家族が放牧をしながら暮らしていた。

100頭飼っている馬のうち、足が速くていい馬意外は食用として

育てている。

冬になったら1頭20万円ぐらいで売るらしい。




翌日、早く起きて今度は300キロの帰り道。

ステップを抜けて、国道に出るまでの250キロの間には4件の家があり、

これも全て立ち寄った。

私は最初、この立ち寄った家々は全部アルマンかカナットの知り合いだと

思った。

しかしそうではなく、私達一行はただの通りすがりで、もちろん顔を合わせるのも

初めて。

放牧をして暮らしている人たちは広大な土地が必要で、

中には400頭の馬を飼ってる家族もいた。

こういう人たちには隣近所というものが存在しなく、殆ど孤立状態なので

通りかかった人が必ず様子見に伺うというのが習慣らしい。

そこで何かか困ったことがあれば、手伝ってあげたりする。

家や車の修理とか、家畜の世話など。

そういう習慣があるので、通りすがりの人でも快く迎え入れてくれて

お茶やお菓子でもてなしてくれる。

あとクムスでも。

 
そして、この馬飼いや羊飼いの人たちが街に出向いた時

今度は、アルマンやカナットが彼らをもてなす番なのだ。

だからいつ訪ねて来てもいいように、必ず住所を残して去っていくと言う。

そういう助け合いの習慣というのが、町の中でもステップの孤立した放牧民に

対しても、当たり前のように見られる。

私たちがたった数日前彼らに出会って、寝食を共にし

ここに一緒に来ている理由もわかるわけだ。

お金がどうこうなんて、一瞬でも考えていた自分が急に情けなくなった。

逆にこちらからお金を払った方がいいのではないかと思うぐらい、

素晴らしい体験をさせてもらったけど、

そんな事を切り出す必要がないことは、彼らの人柄を見れば一目瞭然だった。

 

ロシアの隣国、元々はソ連の一部だったカザフスタン

国民性が全く違うのも、イスラム教が根付く国だからなんでしょう。

今回出合った人も全員モスレムだった。

大地を敬い、自然を敬い、生まれた土地を敬い、先祖を敬い、人を敬う。

一緒に行動し色々な場面で、静かなモスレムの祈りを見た。

たった数百キロ、国境を一つ越えた所に、すばらしい国がありました。
              

先祖の墓に祈ってる場面


中央アジアの旅の始まりがこんなで。

素晴らしすぎる出会いと、想像以上の異文化体験。

感謝すると共に、車事件の傷もすっかり癒えてしまったように思う今日この頃。

旅を続ける決断をして、本当に良かった。