G2DOKKA-WANDERLUST

ドイツ発。親子3人車中泊放浪旅のキロク

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑩サムスン海の家

  

旅に出て3週間、トルコに入って2週間が経っていた。

 

その2週間のうち2日を除いて、私達は黒海を旅する毎日。

二日に1度ぐらいのペースで、次々に新しい出会いがあり

コロナ禍というのをすっかり忘れるぐらいの距離感で

優しいトルコ人達と、いろんな時間を共有した。

 

 

グルジア行きが中止になったので、そろそろ黒海トリップに区切りをつけるのと、

最後に夫がカイトサーフィンをするためにやってきた、最後のビーチ。

 

サムスンという大きな町からそう遠くないのもあってか、水も浜辺も

綺麗とは言えなかったが、今日は風を待ちながらここで寝泊まりしよう

と言うことになり、海風が防げそうな木の下に車を停めた。

 

しばらくすると、英語が話せるとても陽気な青年が話しかけてきて

車を停めて寝るなら、もっといい所を知っていると案内してくれた。

そこは、このビーチの入り口に建っている小さな小屋の後ろのスペースで

なるほど、風もちゃんと防げるし、これなら外で食事も作れる。

 

そして、そこでありがとうで終わらないのがトルコ人

 

この小屋というのが、その青年の親戚にあたるおじさんが

管理しているところで、夏の間はここに住みながら、浜辺の警備などを

しているらしく、さっそくお茶に招かれ、海が一望できるオープンテラスで

ほっと一息。

 

数日の人疲れから回復しまないままの、新たなご縁。

でも意外と場所や状況が変われば、気持ちがリセットされ

結局ここで2日間お世話になった。

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息子は浜辺で戯れていた犬たちの輪に、犬の姿勢で入って行って

すっかり打ち解けていた。

そのうち1匹とは心通じるものがあったらしく、しばらく恋人のように

寄り添う姿が可愛らしかった。

 

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ちなみにここの犬たちは、狂犬病の注射済だったので安心することができたけど

普段こんな距離でいきなり遊びだしたら、私は即座に注意します。

そして私よりも昔、野良犬にかみつかれた事のある父親の方が、この件に関しては

用心深いです。

 ドイツ育ちの子には、野良犬と飼い犬の違いがまだわからないのです。

 

さて、

この小屋の管理人のオジャルというおじさん。

昔は長距離トラックのドライバーをしていて、ヨーロッパ界隈も

頻繁に行き来していたらしい。

 

今はリタイヤして、この海辺で自由気ままに暮らしている。

けっこうな酒飲みで、夕方から飲むことに決めているらしいが

それまでの時間はとても落ち着きがなく、ずーっと足をゆすりながら

タバコを吸い続けていた。

 

だけど、とてもとても親切なおじさんで、私達を宿泊客かのように

もてなしてくれた。

日が暮れだして、晩酌タイム。

この灼熱のトルコの浜辺で、キンキンに冷えた缶ビールが出てきた時は

感動すら覚えた。

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おじさんは結構なペースでお酒を飲んでいたけど、愉快さが増すだけで

決して絡んできたり騒いだりしなく、安心して飲める相手だった。

 

1日目に良い風が吹かなかったので、もう一日滞在することになり

夫は翌日、思う存分カイトサーフィンを楽しんでいた。

 

そしてその日も夕暮れ時から、買い込んできたビールで宴会が始まった。

 

夜になり、ピカピカのジープに乗ったおじさんの友達がやって来た。

年は私達よりいくつか下の感じで、レイバンのティアドロップに

全身トミーフィルフィガーみたいな、高級な風がいきなり入って来た。

前歯全無しのおじさんに、こんなお友達がいるとは。(おっと失礼)

 

しかし見た目とは裏腹に、メチャメチャ腰が低くてやさしい人で

実はアウトドアがとても好きらしく、トルコ国内のおススメの場所とか

色々教えてくれた。

最終的には、おじさんが片言ながらドイツ語で会話できることが判明し

私とおじさんとその男性とで、遅くまで飲んでしまった。

男性は車の中で仮眠して、朝早く仕事へ出掛けていったらしい。

 

翌日。出発当日。

朝起きて、おじさんのところに行くと、スープが用意してあった。

そういえば昨晩、トルコの好きな食べ物は何かと聞かれ

私はメルジメキ・チョㇽバス(レンズマメのスープ)と答えた。

 

それを覚えていてくれたおじさん。

いつもは昼過ぎまで寝ているのに、この日は早起きして

私達の為にこのスープを作って待っていてくれたのだ。

昨日あんなにベロベロに酔っぱらっていたのに!

 

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トルコ人のおもてなし文化のレベルの高さには

いつもグッとくるものがあるのだけど、今回はホント泣きそうになった。

毎回ちょっとしたウルルン滞在記みたいな感じになる。

 

なんか書いていて、また思いだしてしまった。

おじさん、元気にしてるかな。

数年後にでも、また私達が突然現れたとしても

「おう、良く来たね~」といって、自然体で再会できるような人だ。

 

世の中は、ほんと捨てたもんじゃない。

イスラムの国を旅しているとシンプルに、損得勘定の無い

人間の優しさが、たまに痛いほど身に染みるのです。

 

こういう経験を踏まえて、自分もそんな慈悲があふれる人間に

なりたいと思っても、そうは簡単になれなくて

最近ようやく分かったのは、あの人達のおもてなし根性みたいな

ものって、きっと遺伝子に組み込まれているんだということ。

間違いない (笑)!

 

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑨黒海のおじさん達

 

次なる場所も、もちろん黒海のどこか。

10日ほど黒海トリップが続いていて、すでに私は飽きて来ていた。

それに追い打ちをかけるように、今回旅の目的地であったグルジア

コロナ対策で国境を閉鎖すると方針を変え、テンションがた落ち。

来週にはグルジア入りして、山の方へ行って暑さから逃れようと

話をしていたところだったのに、残念で仕方なかった。

 

だからと言って、引き返すわけにはいかず

あと1ヶ月程、ゆっくりトルコを旅しようということになった。

 

7月5日。

この日もグルジアを目指して黒海沿いを走っていたのだが

海岸が途切れて、崖の上に道が続くようになってきた。

ビーチに下りれる気配が一向にないので、日も暮れだしてきたこともあり

寝床探しの為、途中で海を見下ろす崖にある空き地に入って行った。

 

ちょっと先を見ると、すでに先客がタープとテントを張ってそこで

お茶を飲んでいた。

一応その人達に挨拶して、私達も近くに車を停めて寝るということを伝えた。

するとそこの1人のおじさんが、車を誘導したりと色々手伝ってくれて

無事に駐車完了。

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ハッサンという名のこのおじさんは、とてもテンションが高く、

かなり人懐っこい人で、私達が車から降りるなりお茶に誘ってくれた。

ちなみにここは、携帯の電波が一切入らないところだったので

困った時のグーグル翻訳が一切使えない。

私達は全くトルコ語が話せないし、彼らも英語やドイツ語が話せない。

この後3日程彼らと過ごすことになるのだけど、その間の会話が

全部ゼスチャー、もしくはトルコのガイドブックに載っている単語を

指さしながらの会話。

それでも意思疎通を図ることはできたけど、終始この方法というのは

結構疲れた。

 

ハッサンはイスタンブールから休暇で訪れていて、この崖からさらに

上がって行った所にある村に、実家があると言っていた。

そして海へのアクセスがいいことから、ここでキャンプをして

数日寝泊まりしていた。

 

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 入れ替わり立ち代わりで、色んな人がこのキャンプに訪れては

帰ってゆく。子供連れの家族、羊飼いの親子、釣り人。

息子より3つか4つ年上の男の子たちも連日遊びにやって来て

息子と覚えたての英語でがんばって交流していた。

「ワッツユアネイム」「マイネイムイズ・・・」

お互いそれが精いっぱい。

だけど、言葉は重要じゃない。

子供達はすっかり意気投合して、海で遊んだり、釣りしたり

羊飼いの仕事を観察したり、本当に楽しそうでキラキラしていた。

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 私達も海で遊んで、海から上がると当たり前のように私達のご飯も

用意してあって、夕暮れ時に釣りをして、お茶を飲んで・・・

お世話になりっぱなしだった。

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ここのおじさん達の間では、酒が一滴も出てこなかったので

グダグダにならないのが本当に良かった。

海から上がって来て、冷えたビール!ではなくて

サモワールでお湯を沸かして、アツアツの紅茶を淹れるんだから

渋いったらありゃしない。

異国情緒が満載。

 

3日目。

朝ごはんを一緒に食べて、ひと泳ぎして私達はキャンプを去った。

おじさん達はもっと居ればいいのにと引き止めたが、

私の人疲れが理由で、移動することになった。

こういう出会いはとても楽しいものなのだけど、もてなされ過ぎると

一人にしてくれー、となってしまう私の性質。

あと一日いたら、不機嫌になりそうだったので

まだ楽しいうちにお別れをした。

息子は子供達との別れを惜しんで泣いていた。

 

こんな日の事を、将来息子が覚えてるのか分からないけど

世の中にはこんな世界もあるという事が、記憶の片隅にでも

残っていてくれたらなーと思う。

 

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 続

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑧黒海のゆりちゃん

 

この日また適当にフラフラして、たどり着いた所は

真っ青な海が広がる、静かなビーチ。

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土曜日なのにそんなに込んでいなくて、波も穏やかでとても綺麗だった。

淡水が流入する河口域に、いい感じに深くて広いくぼみが出来ていて

天然の冷たいお風呂みたいで気持ちよかった。

 

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息子は終始水遊びでそこら中をうろちょろしていて、10mぐらい前方に

座っていたトルコ人の親子(母と娘)から、たまにドイツ語で話しかけられていた。

私達の会話を耳にして、ドイツ人と分かったのだろう。

トルコではドイツ語が話せる人と遭遇するのはよくある事なんだけど

しばらくしてから、なんと息子とその娘さんが日本語で会話しているのが

耳に入って来た。

なぜ、こんな超どローカルで、名もない小さなビーチに

日本語が話せる人がいるのか!

興味津々でさっそく挨拶しに行くと、その娘さん、まあ流暢な日本語を

話す事。

しかも6歳になるまでドイツに住んでいたことがあって、お母さんは

ドイツ語が話せて、娘さんはアメリカ人と結婚していたことがあり

英語も流暢に操るトリリンガルだった。

色々話も弾み意気投合したところで、近所にあるという滞在先に

お招き頂いた。

彼女たちは、イスタンブールから一時休暇で遊びに来ていて

親戚が暮らすこの浜辺の村に、小さな一軒家を借りて滞在していた。

トルコもコロナで長らく続いた移動の制限がやっと緩和されたところだったので

ようやく来ることが出来たと喜んでいた。

 

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彼女たちも着いたばっかりで、あまり食べるものがないのよねなんて言いながら、

それでも用意して頂いた物の中に、日本ではスベリヒユという

ちょっと肉厚なクレソンのような植物に、ヨーグルトをてんこ盛りにかけて出してくれた。

母子はお茶漬けをすするように、何食わぬ顔で食べていたけど

私的にはその量と、食べ方が衝撃的だった。

 

それにしても彼女、日本語がうますぎる。

自己流で習得したと言うから、もっと驚きだ。

そして二人きりで話している時に、彼女の口から信じられない出来事の

数々が物語られた。

 

 話の内容はこうだ。

日本語・英語・トルコ語を操る彼女は、とある公的な機関で、

事故や事に巻き込まれたトルコ国内の外国人旅行者をサポートする

役目についている。

そしてそこでは、日本人の関係者にゆりちゃんと呼ばれているらしい。

 

で、その働いている場所が関係しているのかは分からないが

ある日、トルコの大統領を暗殺するという情報がどうにかして彼女の

元に届き、この事を事前に側近の耳に入れておくことができたので

暗殺は失敗に終わったらしい。

事実上、彼女が阻止したんだと言っていた。

そして、それを疎ましく思っていた誰かが

その時妊婦だった彼女を殺そうとして、

彼女は道端でお腹を刺され、一命は取り止めたものの

お腹の中の赤ちゃんは助からなかった。

トルコの大統領には、何度も何度も手紙を書いたらしい。

私はあなたを守ったが、あなたは私から家族を奪ったと。

夫婦は深い悲しみに暮れる中、事件から3か月後

今度は夫がその事件を思い詰めるあまり、ある日突然

急に心臓が止まって亡くなってしまったらしい。

二人の家族を次々に失ってしまった彼女。

生きていればその息子は、うちの息子と同じ年だと言っていた。

私はこの話を聞いて、涙を流さずにはいられなかった。

しかし彼女は淡々と語るのだった。

ふむ。

その時は話にのめり込み過ぎて、疑いの余地もなかったのだけど、後から思ったのは

もし私が彼女だったら、

それが何年何十年前の出来事であっても

涙なしでは語れないと思うし、第一初対面の旅行者に

そんな重い話はしない。

他にも自殺した父親の話とかも出てきた。

 

もしそれらの話が本当だったら、物凄く不運な人生を歩んでいるけど

それでもなお、力強くまっすぐに生きている素晴らしい女性。

作り話だとしたら、完全に虚言壁、妄想癖がある痛々しい女性。

 

私は今だにどちらか分からない。

真実は、どちらでもいい。

 

ただあの日、あの青い海でスバラシイ出会いがあったという事だけ

胸に刻んでおこうと思う。

 

 続

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑦バトゥンのおじさん

サフランボルからまた黒海を目指して出発。

途中、全長8キロもあるという巨大な鍾乳洞に立ち寄った。

写真だとまったく伝わらないけど、とにかく今まで見た中で
一番大きい鍾乳洞だった。

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外は猛暑。

だけど岩の中は、ひんやりとして気持ちよかった。

 

黒海再び。

とりあえず毎日毎日暑いので、どこかで水浴びをしないと体がもたない。

この日はバトゥンという街の近くにあるビーチに立ち寄った。

ここでもマスクチェックの警備員が、周辺をウロウロしていた。

水辺では必要ないけど、ビーチ後方にある駐車場や遊歩道を

散歩するときは、この猛暑の中マスクが必須。

とにかくこのどこでもマスクと言うのが、終始煩わしかった。

 

ビーチで遊んでいると、ドイツ語で会話している夫と息子に

話しかけてきたおじさんがいた。

とても流暢な英語を話すこのおじさんは、25年間アメリカの

貨物船の乗組員として働いていたそうだ。

 

金はたんまりあって、いい所に住んで、いいお姉ちゃんといっぱい

遊んできた。

だけどいつからか、自分の人生一体なんなんだろうと、

空しくなってしまったらしい。

そして2、3年前についにリタイアし、故郷に戻り

現在50才にして悠々自適に暮らしている。

 

ずーっと海の暮らしをしていたからか、夕日を撮影するのが趣味で

インスタの夕日アカウントが圧巻だった。

 

私達がいたところは、人が少なめなビーチの端っこの方だったんだけど、

そこからもっと端っこに、入れ墨をしている男たちが数人、

静かに水と戯れていた。

 やはりここも日本みたく、墨入りは肩身が狭い思いをするのか?

おじさんに聞いてみるとやはり、年配の人ほど入れ墨に抵抗があるらしく

欧米と違い、ファッションとしてもまだ定着していないらしい。

 

おじさんもおじさんで、アメリカ帰りのくせに

「親にもらった体に傷つけるなんて、もってのほかだ!」と

厳しい意見を持っていたのが、意外だった。

 

 この後おじさんは見せたいものがあると言って、別の場所に

連れて行ってくれた。

さっきのビーチは人でごった返していたけど、こちらは村に属している

小さなビーチ。

だけど、そこには世にも珍しい崖というのが存在するので

そこそこ人が来るように整備されてしまったらしい。

昔はもっと自然が剥き出しで良かったんだと、おじさんはそれを嘆いていたけど、

それでもこちらのほうがこじんまりして、素敵なところだった。

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プロポーズの人気スポットになっているらしい

そういえばこの日、海沿いだし、夜は魚が食べたいと思って

おじさんに良い店はないかと訊ねたら、黒海は今魚の時期ではないと

意外な答えが返って来た。

魚の時期は9月かららしく、夏の間は魚を出さない店が多いらしい。

ああ残念。。。

 

仕方ないので持参していた、インスタントのポテトピューレと

ザワークラウトを温めた。

灼熱のトルコの浜辺で、ドイツで冬に食べるような

なんともミスマッチな夕食になってしまった。

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この日はビーチに1泊して、翌日もこのおじさんが今度は

バトゥンの街を案内してくれるということで、金曜礼拝のあとに

落ち合った。

 

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色々見て回ったけど、この日何気なくフラっと立ち寄ったアイス屋さんで

食べた、イチジクとピスタチオのアイスがメチャクチャおいしかった。

 

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そしてバザールでは、屋根付きとはいえ屋外で売り子をしている

マスク姿のオバちゃんたちが、気の毒でならなかったけど

相変わらず活気づいた場所で、野菜や果物を一通り買いそろえた。

 

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夕方おじさんとお別れし、私達はまたビーチへ向かった。

 

翌日も水辺を求めて移動。

途中、ここにはきっと魚があるだろうと教えてもらった

オススメのレストランで休憩。

 

魚ありました。

イワシのような小さな魚のフライ。

しかも、オーナーがウクライナ人の女性で、それが関係してるのか

分からないけど、普通に生ビールが出てくる店だった。

そして、私達がここ最近初めての外国人観光客だと言って

色々サービスしてくれた。

ロケーションも最高で、食事も美味しくて大満足!

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その足でまた向かった先は、またどこかのビーチ。

地図でビーチっぽいところを探して、そこに向かうのみ。

そして今回もその名も知れぬビーチで、素晴らしい出会いがあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑥サフランボル

 お昼時、サフランボルに到着。

ここは7年前イランへの旅の途中でも立ち寄ったことのある町で、日本人にも人気の

観光スポットらしい。 

旧市街には、オスマン帝国時代に建てられた古民家が町全体を埋め尽くし、

こじんまりとした小さな町ながらも世界遺産に登録もされている。

古民家はゲストハウスやレストランに改築されていることが多く、戸棚の中に浴室が

ある伝統的な部屋を用意している宿も少なくない。

私達は車を停め、さっそく町の中心部のレストランで昼食をとった。

観光地らしきところに来たのは、この旅で初めてだったけど、まあ人がいない事。

あの、サフランボルにですよ。

以前来たときは、中国人や日本人観光客をのせた観光バスがひっきりなしに到着し、

お土産屋が集う路地なんかは、夜まで大賑わい。

宿泊したところの隣室はドミトリーの部屋で、そこの部屋も満員だった。

コロナによる観光産業への影響は、なんとなく想像はできていたけど

まさかこんなスッカラカンな光景が、広がっているとは。

この町の観光業に関わる人達はどうやって生きてゆくんだろう。

ここの人達だけでなく、全世界の至る所がこういう状態な訳で、

ここにきて、はっきりとした形でコロナの破壊力を思い知ったというか。

 

 

とは言えトルコ人の国内旅行先としての人気はあるようで、ポツポツと

見かける旅行者はトルコ人が殆どで、私達のような外国人旅行者は、

1組しか見かけなかった。

そして余程珍しいのか、写真を撮られたりもした。

 

 

日中はうだるような暑さ+マスク着用義務が家を出た瞬間からある国なので

とてもじゃないけど観光などできず、ようやく涼しくなった20時ぐらいから

やっと町散策をすることが出来た。

色々見たかったんだけど、そんな時間からだと土産物屋なんかも閉店の準備を

しだしていて、結局ビールを買って宿に帰ってテラスで飲んだだけだった。

 

 

 

 

トルコの公共浴場ハマムは営業していた。
 


この日の宿は古民家を改築したゲストハウスで、宿泊費も破格の値段だった。

子供は無料、大人二人朝食付きで20ユーロぐらい。

アジアのどっかの国を旅している金銭感覚。

このスーパー閑散期だからできることなんだろうけど、宿に直接駆け込んで

値段を聞くと、よくある宿泊予約サイトの半値ということもある事を知った。

そしてこの宿の宿泊者はやはり、私達だけだった。

なんか、何しに来たんだろうというモヤモヤがかなり残ったのだけど

暑いシャワーと、貯まっていた洗濯物ができただけでも良いではないか。

あと、Wi-Fiが使い放題だったので、色々と調べものとかゆっくりできたのも

良かったかな。

 

翌日、メンズ二人はハマムに行って綺麗さっぱりなったところでサフランボルを去る。

そして新市街の方へ出向き、トルコ国内で使えるSIMカードと、インターネットの

パケット契約する。

普段旅をする時は、デジタルデトックスの意味もこめてと、情報過多で冒険心が

削がれるのを避けるため、極力オフラインな生活をしているのだけど、

今回はコロナ禍の中、最新の情報が常に必要だったため

買おうということになったのだった。

前情報では1カ月25ユーロぐらいとの事だったけど、実際店に駆け込むと

SIMカードに25ギガの通信料で10ユーロぐらいだった。

なきゃないでなんとかなるんだけど、あったらあったでやはり旅の充実度が

全然違うんだな。

適度に使えばこんな便利なものはない!