G2DOKKA-WANDERLUST

ドイツ発。親子3人車中泊放浪旅のキロク

日本ードイツ大陸横断_㉛タジキスタン_ワハン回廊2

 ワハン数日目の出来事。

途中で機関銃剥き出しの国境警備隊に遭遇。

車を停められパスポートやらビザを確認した後、なんとその場で

車内の検査が始まった。

道端でこんなことされるなんて、思っても見なかった。

マーカスがドアを開けるとか、動こうとするたびその兵隊2人ともが、

ポシェットみたいなのに入ってる小型の拳銃に手をそえて、発射準備をする。

これ、変装した山賊とかだったらどうしよう。

色んな思いが駆け巡る。

 

私が恐怖に慄いてタジタジしている間、マーカスはこの道端荷物検査に

腹を立てたのか、全部見やがれと言わんばかりに、彼らの足元に私達の荷物を

バンバン放り投げている。

普段ものすごーく温厚な彼だが、怒るポイントと怒る相手、 そこなの???

この人の空気の読めなさは知っていたが、

こういう状況でも権威にあからさまに盾突く我が夫を目の前にして、

私はさらに慄いた。

私がビビリすぎなのか。

これで相手が怒っちゃったらどうすんの??

 君、丸腰だよ。


結局何にも問題が無い事を知るとあっさり解放してくれたけど、

やっぱりまだ怖くて、その日はどうも外で寝る気にならず、

近くの村で車を停めさせてくれる人探しを始めたのだった。

 

この日泊まらせもらったのは、山の中腹に住むワハン人一家の家。

寝床に良さそうな畑を見つけ、そこにいたおじさんに車を停めていいか

訪ねただけなんだけど、結局家に招かれ夕食を頂き、ベットまで用意してくれた。

 

 

そして翌日、朝食はお馴染みのシールチャイ。

そういえば、前の日にお招き頂いたお宅でもシールチャイだった。

日本で言う、お茶とせんべいみたいな。

お茶漬け的な??

家に招いてもらうのはとてもありがたいんだけど、シールチャイだけは

本当に苦手なんです。。。

キルギスの肉のもてなしの時のように、辛いものがある。


 

一家とお別れをしてその日は「イシカシム」という村でやってるバザールに向かう。

タジキスタンアフガニスタンの商人が一同になって週末市場を開催している所。

向かう途中、庭で育てたりんごやトマトをバザールに売りに行く若い女性が

ヒッチハイクしていたので、乗せて行ってあげる。

首都デゥジャンべの大学に通っている彼女は、英語が話せる25歳。

一児の母でもある。

3ヶ月実家のあるワハンで過ごしていて、週明けにデゥジャンべの自宅に

帰るけど、今日は最後にお母さんの手伝いでバザールに行くと言っていた。

バザールはまさにタジキスタンアフガニスタンの国境線上行われている

青空市場で、機関銃むき出しの男らが、所々に立っている。

警備している軍人なんだろうけど、タリバンにしか見えない。

まだそんな事を言っている私。

だって、場所も場所だしー。

 

門番にパスポートを預けて会場に入ると、アフガン人とタジク人でごった返していた。

アフガニスタンの商人はみんな民族衣装(?)のような服に、ターバンみたいな

格好で分かりやすかった。

日本でもお馴染みのアフガンストールももちろん売っていた。

さっき道でピックアップしたグリャと腕組して、一緒にバザールを練り歩く。

すっかり仲良しになってしまい、デゥジャンベに行ったら必ず訪ねるからねと

約束した。

       
        ≪川を渡ったところがバザール会場≫


一通り見終わって返り際、パスポートを返してもらいにいくと、

係員の手元に、なんと日本人のパスポートが2冊!

こんなところに他に日本人がいるなんて!

早速出てくるのを1時間ぐらい待ち伏せした。

ようやく対面したのは大阪から来ていた夫婦。

やすくんとかおりちゃん。

この後同じ街まで向かうというので、ついでに車に乗ってもらい

キャンプすることになった。

彼らは3月ごろ日本を出発して、タイから周辺の国を周り北上してパキスタン

中国、そして中央アジアを巡っているところだった。

2年ぐらいかけて色んなところに行くらしい。

のんびーリ旅をしていて、マイペースで素敵なカップルだった。

宮大工の訓練校に通っていた彼の話やら、旅の経緯やら色んな話を

しかも日本語で話せた時間はホントに楽しかった。

しかもアフガニスタンの国境で。

そして極めつけは彼らが持っていた「ゴールデンカレー中辛」。

涙もんだった。

日本のカレー最高!

そんな感じで楽しい時を過ごし、次の日は石灰棚に沸いた不思議な温泉

「ガラムチャシュマ」に行って、もう一泊共にして

翌日大きな街ムルガーブに到着。

 

このあとアフガニスタンに行く彼らを、大使館の前で降ろしサヨウナラ。

ドイツできっとまた会えると思う。

フットワークの軽い彼らだからきっと訪ねてくるだろう。

メチャメチャいい出会いだった!!


ムルガーブのバザールで買い物を済まし、近くの川で洗濯をして、

そのままそこに泊まることにした。

翌日から私だけ激しい胃痛と腹痛と吐き気に襲われ動けなくなる。

昨日のバザールで、腐ったトマトか何か、変な物を食べてしまったのか?

この旅でこんなに具合が悪くなったのは初めてだったけど

2日寝込んで回復した。

 ムルガーブから首都デゥジャンベに向かう途中、ルシャンという村から

東側に入っていくとバータンバレーという美しい谷がある。

ロンリープラネットではミュージシャンがたくさん住む村と紹介してあり

さっそく行ってみる事に。

 

なんとものどかな所。

 

村の途中で大きなくるみの木を見つけ、そこの下で一泊。

ハンモックをつるして、のんびりゆるゆるの1日だった。

子供たちが遊びにやってきて薪を一緒に拾ったり、

山仕事を終えたおじさんと一緒にくるみを拾ったり、

久々ゆっくりご飯をつくったり。。。

この場所がすっかり気に入ってしまったけど、そうもゆっくりしていられないので

翌日出発。

 

途中バターを探しに訪ねた村のある家で、お茶に招かれる。

偶然にもそこは村長さんの家で、やはり自らもタールという楽器の演奏者だった。

英語の先生をしていたという近所のおじさんもいたので、村の話や

ワハンの文化など色々詳しく聞くことができた。

 

ここワハンは、 地形的にもアクセスが非常に困難なことから

言ってしまえば、あまり人が寄り付かない。

インフラが十分に整わないのはもちろん、政府の目だってこんな所まで

行き届いている感じもしない。

こんな辺境が故、隣接する国々での度重なる紛争や

タジキスタン国内の内戦で国が疲弊してゆく一方、

ここの人達は戦火の影響も受けず、ずーっと平和に暮らしている。

 

農業と畜産が主な収入源で、家畜の使い方や穀物の収穫方法など

多分100年前から変わってないんじゃないかというぐらい、

機械の出番がほとんどない。

 

人がする仕事は増えるけど、食物を育てる為、生活して食べていく為に

一家の老人から子供まで、それぞれにちゃんとした役割がある。

その毎日の仕事の中で伝統が言い伝えられ、文化がちゃんと守られる。

そのベースにあるのはイスラムの教えで、宗教観が大きく係わっている。

「私たちは貧しいけど、素晴らしい文化があるから幸せだよ」

村長が言っていた。

そして、その価値観を言い伝えていくのが彼の使命だとも。

 

過酷な環境ではあるけれど、複雑なことが一切ない。

食べて生きてゆくための労働。

谷で生きてくための、文化継承。

その循環の中で、命をつないでゆく。

淡々と、脈々と。。。

こういうのが、人間の暮らしの極みだと思った。

 

「いつでも鍵あけとくから、朝でも夜中でも又訪ねておいでね」

そんなお別れの挨拶。

 パミールやワハンでは当たり前らしい。

 何なんだ、この神みたいな人達は!

 

今日も素晴らしき出会いに感謝。

 予期していない誰かとの出会いこそ、旅をする上で最も大きな喜びと驚きを

もたらしてくれる。

 

特にこのワハンに住む人達の、朗らかでポジティブなエネルギー。

 

こういう波長を持った人々に会ったのは、生まれて初めてだ。

彼らは本当に、幸せものだ。

こういう世界を覗き見る事ができて、私はとても嬉しい。

よくインドを旅すると人生観が変わると言うけど、

私はこのワハンでの数日でもう、やられっぱなしです。

 

 とてもとても、芯まで温まったような滞在。

村長からは旅のお供にと、くるみと桑の実をどっさりもらって、

私達はこの村を後にしたのだった。